今回は、親権者や監護権者の指定の判断要素となる「子の意思」についてです。
年齢は親権者・監護権者指定の重要な考慮要素となる
離婚時の親権者や監護権者の指定の家庭裁判所の判断に際して、「子の意思」は重要な考慮要素となります。
これは子の意向を実現することが、子の福祉の実現に沿うという考え方に基づきます。
10歳から15歳以上の子について
まず、10歳から15歳の子についてです
15歳以上の子について
まず、15歳以上の子については、家事調停・家事審判では,親権者等を定めるに際して、子の意見を聴取しなければなりません。
15歳以上の子については、その年齢に応じた発達が認められる場合、自由な意思に基づいて、自由に意思を表明する能力が高く、親権者の指定に際して、その意思は尊重されます。
10歳以上の子について
また、法律上の義務とまでは定められていないものの、子が意思を表明できる年齢・発達段階にある場合には、家庭裁判所は、親権者や監護権の指定に際して、その意思・意向を確認する運用を取ることが多いです。
そして、一般的には、10歳以上の年齢の子が、年齢相応の発達水準にある場合、その意思は相当程度尊重されると理解されています。
なお、年齢が10歳に達していても、知的能力・精神能力がその標準的な水準に達していないとの評価を受けるような場合には、仮にその子が親の選択に対して意向を表明していたとしても、親権者の判断に際しては、より慎重な調査が行われることとなります。
5歳から9歳以下の子について
他方で、9歳以下の年齢の子の場合はどうでしょうか。
この場合、年齢・発達段階が下に行けば行くほど、「子の意思」については、慎重に判断されることとなり、監護の実績・現状の尊重などの要素のウェイトが重たくなる傾向にあります。
5~6歳の子の意思について
5~6歳の子は、発達段階にして小学校1年生程度であり、自分の意思を表現できる年齢と評価することも可能です。
この年齢・発達段階の子の意思は、親権者指定に際して、決定的ではないものの、考慮要素として、一定程度影響しえます。
もし、父親・母親の監護の適格性や養育環境に甲乙つけがたい、といった場合には、子の意思が判断要素としてクローズアップされてくるかもしれません。
もっとも、5~6歳の子の意思は、10歳の子の意思の表明よりも慎重に判断されます。
東京高裁平成11年9月20日決定
上記に関して、東京高裁平成11年9月20日決定は、家庭裁判所の調査官面接に際して、5歳・6歳の子が、「母」に対して、驚くほど強い拒否的な態度を示した事例で、次のような評価を与えています(一部、一般の方に読みやすくするよう修正をしています)。
5~6歳の子に対する意思の評価
5、6歳の子供の場合、周囲の影響を受けやすく、空想と現実とが混同される場合も多いので、たとえ一方の親に対する親疎の感情や意向を明確にしたとしても、それを直ちに子の意向として採用し、あるいは重視することは相当でない。
(子が)面接の際に示した態度が何に起因するものであるかを慎重に考慮する必要があり、いまだ6歳の子が一度の面接調査時に示した態度を主たる根拠として監護者の適否を決めてしまうことには疑問がある。
5歳・6歳の子が意思表明をした場合のその余の検討対象
上記の高裁決定は、上記のように述べたうえで、さらに次のような点にかかる多角的な観点からの検討が必要としています。
- 母に対して強い拒否的な態度を示した原因
- 姉妹分離の問題点(本件は姉妹分離の問題が生じる事案であった)
- 子の年齢や発達段階を考慮したときにそのニーズを最もよく満たすことができるのは誰か
- 面接交渉の確保の問題
小括
上記高裁決定の「原審」は、5~6歳の子の表明した意思に沿う判断をしています。5~6歳の子の意思は事案判断に影響を及ぼし得るケースがあるのは明らかです。
他方で、高裁決定が、子の表明した意向を直ちに採用できないとしているからも、子の意思に沿った判断を裁判所がしてよいか否かについては慎重に検討されることとなります。
10歳以上の子のケースと比較すれば、5から6歳の子の意思表明は、それを文字通り受け取るのではなく、その表明がなされた原因が監護親(夫側)に無いのか、あるいはその他の考慮要素についても相当のウェイトが置かれる傾向にあるところです。
7歳から9歳の子について
7歳から9歳の子については、その子が年齢に応じた発達段階にある場合には、上記5~6歳の子と比較して、判断要素として子の意思のウェイトが次第に重たくなっていきます。
5歳と9歳の子とでは、通常は、その発達段階、意思を表明する能力、子供が自由に意思を形成する力は、9歳の子の方が強いと言えるためです。
その他の事情についても考慮されることは、5~6歳の子のケースと変わりませんが、5~6歳のケースの場合と比較すると、発達に応じて、その他の事情のウェイトはだんだんと小さくなるとの評価を受けうるところです。