マンション判例の思い出を語るシリーズその1
北九州に戻って
昭和63(1988)年4月、私は東京弁護士会から郷里である北九州市に戻ってきました。
帰ってきてしばらくはヒマにしてたので、押しつけられたのがマンション管理組合団体の相談、早速この年に引き受けたのが飯塚のマンションに隣接する公共建物の差し止め請求事件でした。
この案件はH弁護士と一緒にやり、年内に和解決着したのですが、H弁護士はもうマンション事件はやりたくないというようなことを仰る。しかし次々とマンション事件の相談や事件依頼があります。
翌昭和64年(平成元年)になって飛び込んできたのが戸畑区のRマンション事件です。
Rマンション事件
裁判の記録はもう残っていないので、記憶だけに頼って言えば、繁華街にある30戸程度の小規模マンション、中に勇名を馳せる工藤会の下部団体の事務所が2戸あったのです。
各室の外壁等には監視カメラが設置されており、抗争事件のようなこともマンション内で発生、たまりかねた住民が追い出しに立ち上がったという案件でした。
なにせ相手が相手だけに当時30代の私も家族に危害を加えられかねないという不安から、弁護士会の民暴委員会に協力を求め、中村仁先生はじめS、K、Uに弁護団に入ってもらい、この事件が決着するまで、当時小学校3年生くらいだった娘は学校が終わると毎日まず事務所に来させ、夕方になって一緒に買い物をして帰宅し、妻が帰宅して9時くらいに事務所に戻ってまた仕事をするというような生活だったと記憶しています。
さてわれわれ弁護団は、区分所有法60条1項に基づく使用差し止め仮処分請求事件を提起しました。この事件の相手方(債務者)の一人は、後に工藤会ナンバー2となった大物田上不美夫であり、無期懲役判決を受け現在上告中です。
この事件は、工藤会関係者の前科・前歴を立証するため警察の協力を仰いだのですが、警察の協力をめぐってS弁護士と当時日弁連民暴委員長であったU弁護士との間で、無批判に警察の協力を仰いでいいのかという対立が生じ、U弁護士が弁護団から脱落するという内紛があったことが記憶に残ります。
しかし、相手方に物分かりのいいO弁護士がついてくれたおかげで早期(年内)に和解決着しました。
特に記憶に残っているのは、公民館のような場所で開いた管理組合の臨時総会で、要請した警察の警備が物々しかったことが一つ。
もう一つは、区分所有法58条3項に基づき弁明の機会を相手方に与えなければならないのですが、その総会に相手方2団体から各一人づつ組員が現れ、一人づつ会場内に入らせ、「何か弁明がありますか?」という問いに、なぜかうろたえ無言だったことです。