弁護士をしていると、なんで犯罪者の味方をするんですか、悪人の味方ですね、などと言われることもあります。
ネット上の疑問・質問なんかでも良く出てきますし、小学生などと接するときに言われることも多いです。
この質問に対する答え方、いろいろあると思います。
犯罪に関する弁護活動
犯罪者・悪人の味方ですね!と言われて、これに応えるとき、大きくは二つの場面を想定します。
犯罪者の認定に関する場面
一つは、その人、本当に犯罪者なの!?悪人なの!?という場面です。
確かに、真実において犯罪者なのに、弁護活動によって罪に問われなかった、そうしたケースがありえることは否定しません。その犯罪に被害者がいて、やるせないという場合もあると思います。弁護士は犯罪者・悪人の味方じゃないか、と思われてしまうのも、分からないではない。
私も弁護士という業務を離れて、家でニュースなどを見ているときに、やるせない思いに駆られることは多々あります。
えん罪の防止
しかし、反対のケース、つまり、真実、その人が犯人じゃない場合を考えてみます。
この場合において、弁護活動が十分になされず、適切な主張・立証が行われないまま、罪を犯していない人が刑務所に入ることになるのはどうでしょうか。
それは絶対に許されない。少なくとも、弁護士の多くにこうした価値判断が働きます。
だから、弁護士は、犯罪者と疑われている者が否認をする場合、本当は犯人じゃない、っていう弁護活動をします。
「はたから見たら犯罪者・悪人なのに、弁護士がそれをゆがめている」と捉えられ、弁護士が犯罪者・悪人の弁護をしているじゃないか、と思われてしまう場面の一つでしょう。
しかし、多くの弁護士には、弁護活動が十分になされずに、えん罪の者が刑務所に入らないといけなくなることを防ぐほうが重要という価値判断が働いています。
主張立証を尽くすことに価値がある
また、もうひとつ言えば、これは誤解をまねく言い方になるのかもしれませんが、真に犯罪を行った者の責任を問う、責任を追及する役割を担うのは検察官。
この検察官と弁護人が、異なった立場で主張・立証を尽くす、尽くす場が与えられていることに刑事手続の価値がある、という発想があります。
私個人としては、上述の「えん罪防止」の視点を常に持つということももちろん大事ですが、互いに主張・立証を尽くすことに刑事手続の価値がある、という発想で仕事をすることも多いです。
誤解されそうですが、こういう発想をとることで、気持ちが吹っ切れて良い仕事になるケースもあります。
犯罪をしたことを認めている場合は?
もう一つは、犯罪をしたことを認めているケース。
こうしたケースで弁護士は、その者の罪が重たくなりすぎないように、弁護活動を行います。
これも、犯罪者・悪人の味方、と言われてしまうゆえんかもしれません。
しかし、たとえば、1回の100円の品物の万引きで懲役10年っていう判決がでたらどうでしょうか。これは重たすぎないでしょうか。
一旦犯罪が行われたとしても、そこに加えられる量刑が適正なものでなければなりません。
そこで、弁護士は、罪を認めた被告人に加えられる量刑が適正なものとなるよう、情状面の主張を尽くすわけです。
私がなんと答えているか
弁護士は犯罪者・悪人の味方か、あるいは、なぜ犯罪者・悪人の味方をするのか、などと言われて、私が何と答えているか。
小学生との職業交流会などでから聞かれたら、上記のような内容を丁寧に答えます。
でも、普通に仕事をしている際に依頼者との雑談レベルにおいて、軽い感じでこれを聞かれても、上記のように丁寧には答えません。
その場合、いろんな思いを込めつつも「これが仕事ですから」と答えています。