相続廃除事由としての侮辱とは~2つの裁判例を参考に~

今回は、相続廃除事由の一つである被相続人に対する「重大な侮辱」について解説します。

参照:相続廃除とは~法定相続人を相続手続から排除する~

相続廃除事由としての侮辱とは

相続廃除事由である侮辱は、人の名誉や名誉感情を害する言動をいい、事実を適示するか否かを問いません。

「事実を指摘した」だけという場合も、ケースによっては侮辱を構成するすることがあります。

他方で、一回的・一時的な侮辱だけでは、「重大な侮辱」との評価は通常与えられません。

相続廃除と「重大な侮辱」に関する裁判例

上記「重大な侮辱」に該当するか否かは、ケースごとに判断をしていくことになりますが、「侮辱した行為」がどういったものか、が単に問題となるのではなく、その背景事情も含め、侮辱が重大か否かが判断されます。

この点、二つの裁判例が参考になりますので、見ていきます。

否定例―東京高裁平成8年9月2日決定―

まず、紹介するのが東京高裁平成8年9月2日決定です。

【規範部分・判断要素】

この決定は、結論において、「排除」を否定していますが、侮辱の程度につき、一般的な規範や判断要素を述べている点で参考になります。

【規範部分・判断要素】

推定相続人の廃除は、遺留分を有する推定相続人が被相続人に対して虐待及び侮辱並びにその他の著しい非行を行ったことが明らかであり、かつ、それらが、相続的共同関係を破壊する程度に重大であった場合に、推定相続人の相続権を奪う制度である。
右廃除は、被相続人の主観的、恣意的なもののみであってはならず、相続人の虐待、侮辱、その他の著しい非行が客観的に重大なものであるかどうかの評価が必要となる。その評価は、相続人がそのような行動をとった背景の事情や被相続人の態度及び行為も斟酌考量したうえでなされなければならない。

【具体的事案における結論】

そこで、本件についてみるに、前記認定事実によると、抗告人と被相続人との不和はAとBの嫁姑関係の不和に起因し、抗告人と被相続人がそれぞれの妻の肩をもったことで、抗告人夫婦と被相続人夫婦の紛争に抗大していったものである。
AとBは、頻繁に口論し、その結果お互いに相手に対する悪口、嫌がらせ、果ては暴力を振るうような関係に至っていたことが認められる。抗告人と被相続人も紛争に関わる中で、口論は日常的なものとなり、相手に抱いた不信感や嫌悪感を底流として、双方が相手を必要以上に刺激するような関係になっていったものである。
そういう家庭状況にあって、抗告人がBや被相続人に対し、力づくの行動や侮辱と受け取られるような言動をとったとしても、それが口論の末のもので、感情的な対立のある日常生活の上で起こっていること、何の理由もなく一方的に行われたものではないことを考慮すると、その責任を抗告人にのみ帰することは不当であるというべきである。
そうすると、抗告人の前記言動の原因となった家庭内の紛争については、抗告人夫婦と被相続人夫婦の双方に責任があるというべきであり、被相続人にも相応の責任があるとみるのが相当である。
しかも、抗告人は被相続人から謂われて同居し、同居に際しては改築費用の相当額を負担し、家業の農業も手伝ってきたこと、被相続人も昭和58年から死亡するまで抗告人との同居を継続したことなどの前記認定事実を考慮すれば、抗告人と被相続人は家族としての協力関係を一応保っていたというべきで、相続的共同関係が破壊されていたとまではいえないから、抗告人と被相続人の感情的対立を過大に評価すべきでなく、抗告人の前記言動をもって、民法第892条所定の事由に当たるとすることはできない。

ここでは、仮に侮辱的な行為があったとしても、それを一方にのみ帰責できるかなど、侮辱の前提となる事情が審理の対象となっています。

肯定例 -東京高決平成4年10月14決定―

次に紹介するのは、東京高決平成4年10月14決定です。

少し事情は長いですが、侮辱に該当する事実の他、被相続人(ここではT)と相手方(ここではS及びA)との関係性や、S・Aが侮辱行為に至った経緯などが認定されており参考になります。一部、省略しながら、判旨を見ていきます。

【被相続人との関係悪化(怪我を負わせたこと)】

上記裁判例は、被相続人(T)に対して、相手方の一人Sが故意的に怪我をさせたことなどを事情のひとつとして認定しています。

 

【事情】

被相続人Tは、昭和63年7月8日に妻Yが死亡した後は、「本件不動産」に一人で居住していた。

同月中旬ころ、被抗告人ら夫婦がT方を訪れた際に、Yと被抗告人Sといとが言い争いとなり、SはTにぬるい湯の入ったやかんを投げつけ、これがTの顔面に当たり、顔面が腫れ上がった。Tは、当日、千葉県に住む二女のUに電話して、「Sから殺されるから、助けてくれ」と繰り返し訴えた。驚いたUは、翌朝直ちに夫とともに車でT方に駆けつけたところ、Tの顔面が右のような状態であったので、医者に行くことを勧めたが、Tは、自分の息子に乱暴されたなどとは言えないとして拒んだ。

そこで、Uは、その日はT方に泊まってTの怪我の手当をした。その後、Uが被抗告人A(Sの妻)に事情を問い質したところ、Aは、Sが喧嘩になった際に、たまたまSの手が急須に触れ、その蓋がTに当たっただけで、たいしたことはない、と笑って答えた。
Tは、横浜市居住の長女Hにも電話して「助けてくれ、このままだと殺される」と訴えたので、Hは直ちにSに電話したところ、Sは、「話をしているうちに手がすべって急須の蓋が親父の顔にちょっと当たったら、親父の奴、殺されるとわめきやがった」と答えた。
このことがあってから、Tは護身用の木刀様の木の棒を身辺に置くようになり、今後Sが乱暴したらこれを使うと述べていた。

【相手方に被相続人の面倒を見ようという気持ちがなかったこと】

また、上記裁判例は被相続人(T)につき、相手方S及びAに面倒を見ようとする気持ちがなかったことなどを認定しています。

【事情】

S及びAには、Tの近くに住んでいたにもかかわらず、一人暮らしのTの生活の面倒を見ようという気持はなく、Sは、Tに対し、本件不動産を売却して老人ホームに入ったらどうかと提案したが、Tはこれを拒否した。SやAがTの世話をするためにT方を訪れることも少なかった。
しかし、Tがガスを消し忘れたり、風呂の空焚きをするような事故が生ずるようになったので、区役所福祉課に家政婦の派遣を依頼することになり、昭和63年7月から数名の家政婦が順次派遣されてきたのち、同年9月1日からはK家政婦が派遣され、忠の世話をした(同家政婦Kは、Tが千葉に転居した平成元年6月4日ころまで忠方で勤務した。)。

【被相続人の配偶者の遺産を巡る争いが激しくなったこと】

また、上記裁判例は、被相続人(T)と相手方らとの間にTの配偶者であったYの遺産を巡る紛争があったこと、その紛争が激化していったことを詳細に認定しています。

Tは、昭和63年8月中旬ころ、S・Aらに対し、本件不動産等Yの遺産はすべてTが相続することにしたいと申し入れた。Tは、本件不動産はもともとTがYに贈与したものであったので、Yが死亡した後は自分が取得するのが当然であると考えていた。

しかし、S・Aらは、自分たちにも相続権があると主張して、Tの申し入れには頑として応じようとしなかった。

  • 【被相続人と相手方らの対立の深刻化】
    Tは、S・Aらとの対立が深刻化し、また、S・Aらから老後の世話を受けることはできないと考え、Uに対し、同人の住居の近くに土地を難入して移住したいと相談した。

    Uは、医者からは、Tの健康状態について、興奮状態が続き、極めて不安定な精神状態であり、健康を害しているから、早急に気持の落ちつける場所に住まわせるようにと言われ、Tの世話についてK家政婦に引き続き全面的に頼り続けることもできないと考え、自分がTの面倒を見ることとした。

    そこで、Tは、昭和63年12月、U居住地の隣接地50坪を購入し、平成元年1月ころ建物の建築に着手した。
    これらの購入資金等を捻出するためにも、本件不動産の売却が必要になったので、Tは自分名義の相続登記を早急にしたい考え、S・Aらに対し、1000万円を支払うので本件不動産をTだけが相続することを了解してもらいたいと要望したが、A・Aらは法定相続分に従った相続をすることを主張してこの要望も拒否した。
  • 【相手方らの被相続人に対する罵倒】
    そして、この話し合いの際に、Sは、Tを、「千葉に行って早く死ね、80まで生きれば十分だ」などと罵倒した。
    また、Aは、平成元年3月13日、14日ころ、Tに対し、「千葉のほうに土地を買ったろう。そんな金があるんだったら長男夫婦である自分たちの家を作ってくれ」と述べた。
    同席していた家政婦Kが、「Tは通院中で血圧が高いので、静かに話して下さい、興奮させないで下さい」と言ったところ、Aは、「老人は少しくらい興奮させた方がいい。85、6歳まで生きているんだから死んでもかまわない」と言い放った。
  • 【被相続人と相手方らの対立のさらなる激化】
    平成元年2月ころからは、TとS・Aらとの本件不動産の相続を巡る対立は一層激化し、TからK家政婦の自宅にまで「SAらが酷いことを言って脅迫する」という電話が何回もあるようになり、同年4月13日には、Tから「今からSが来る。Sに叩き殺されてしまう、助けてくれ」という恐怖に怯えた電話があった。
    家政婦Kは直ちにTを迎えに生き、同日と翌日の夜、自宅に忠を宿泊させた。このことを聞いたUは、心配して、Z弁護士に相談し、Z弁護士は、同月13日、SAらに対し、Yの遺産の分割の件は自分がTの代理人としてSAらとの交渉等を担当することになったこと、今後Tに対する直接の交渉、連絡等は遠慮されたいことを内容証明郵便で通告した。
    家政婦Kは、献身的かつ誠実にTの世話をしており、しかもTは一人では生活ができないような健康状態であったが、Sは同家政婦が家庭内の問題に介入し、U・Hに味方していると考えて、同家政婦を排除しようと企図し、同年4月13日ころ、○○区役所福祉課に電話して、同家政婦を辞めさせるようにと申し入れた。しかし、区役所福祉課の担当者は右申し入れを拒否した。

【他の推定相続人との関係性など】

また、上位裁判例は、さらに、被相続人と相手方や被相続人と他の推定相続人との関係性などについても認定をしています。

【事情】

Tの資産、収入としては若干の預金と国民年金しかなく、生活に余裕があるとはいえなかった。そのため、生活費や家政婦への支払のうち個人負担分は、U及びHが負担し、SAらは全く負担しなかった。
むしろ、Tは、Sに、Yの葬儀の直後に、葬儀の際に世話になった謝礼の趣旨も含めて、100万円を渡した。また、SAらは、Tのもとに持参した食料品等についてもその代金の支払を要求し、Tの家へAが通うために購入した自転車の代金もTが負担した。AがTに、旅行に行く費用を出してもらいたいと要求したこともある。
TとSとは、TがYと再婚したころから、折り合いが悪く、以後両者の関係は決して良好なものとはいえず、言い争いも多く、Sは、Tに対し、しばしば侮辱的な言動をとった。
また、Sは、Yを生涯「おばさん」と呼び、Tと口論する都度、自分を勝手にYの養子にしたから、離縁してやると述べていた。
そして、Tは、昭和38年にSが始めたスナックの開店資金の少なくとも一部を援助してやったほか、その後もS・Aの要求に応じて、生活費、店の運転資金等を渡していた。Tは、生前、UやHらに、自分が被抗告人らのために支出した金額は2000万円にも上ると述べていた。

上記裁判例は、以上のように詳細な認定をしながら、S・A両名には、忠に対する重大な侮辱があったものといわざるをえない旨の判断を示しています。

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